プロフィール

膝小僧360

Author:膝小僧360
座右の銘は「永遠の18歳」

105歳まで生涯現役でいます。。仕事においても遊びにおいても、あらゆる分野において若い者を若さで圧倒する、そんなアダルトチルドレンな105歳を目指しています。ただしこのまま計画通りいくと人生あと83年しかないのが悩み。

カテゴリー

最近の記事

月別アーカイブ

カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

最近のコメント

最近のトラックバック

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

FC2

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

てっちゃん

現在、東京で てっちゃん、こと T と住んでいるわけですね、
かれこれ2ヶ月以上。

でもね、てっちゃん が起きんとです。

猫と同じくらい毎日寝てます。

てっちゃんが起きているとなぜか僕が不安になるくらい
寝るのが日常になってます。

起きていても常に布団の中にいてます。
どれくらいかというと。。。

僕にとっての晩ごはんが Tには朝ごはん。

僕が寝始める夜2時あたりにTは本格的に活動が始まる

僕が朝家を出るときには寝てて、夜に帰ってもまだ寝てる。

起きていても基本的に布団から出ない

布団の中に入って寝てるのに「寝てへんもん」と主張する。

料理は作るけど、食器洗うのは僕。

外に出るのはタバコ買いに行くとき

椅子に枕を敷いて座布団代わりに使ってる。

就職活動が2nd termに突入。

そもそもスーツを着ない。
というか基本的にパジャマ

眠いので最近は説明会や面接をブッチしがち

オウム真理教に関する本を最近読んでる。

健康診断に行くから、今日の説明会には行かないらしい。
でも、実は午後2時をまわってるのに布団の中。。。

ゴルゴ13にはまっている。

やたら履歴書を書くのが速い

遠距離恋愛には慣れていない

食欲がない、動いてないから当たり前か。。

不動産の会社でどこか安パイを探してる。

新聞社の筆記試験に悪戦苦闘してる。

コーヒーは必ずブラックで飲む。

朝ごはんを食べたら寝る。

お好み焼きをつくるのが好きらしい。

身長は183cmくらいある。

寝る週はお風呂に3Daysほど入らないときもある。

電気のスイッチのオンオフには厳しい。

よく枕を抱いて寝てる

最近人生に悩んでいる。

寝起きの鼻歌がSPPEDの White love


などなど てっちゃんの生態でまた新たな発見があれば
お知らせします。

スポンサーサイト

ドラッカーを紐解く

「富の未来」、「フラット化する世界」をたてつづけに読んだ。

なかなか面白い。刺激を受けた。

ついでに、ドラッカーの本を久しぶりに開いた。

深みが違う。

ドラッカーの言葉の重み、それは比較にならないほど重い。

高校でドラッカーの書に出会えたことは幸運だった。

「ネクストソサエティ」の衝撃は今も忘れない。

しかし、ドラッカーはもう既に他界してしまった。

一つかけがえのない夢があった。それはドラッカーに会うこと。

もはや永遠にかなわぬ。

後悔している。

なぜ、なぜ、私はクレアモントに飛ばなかったのか。

いったい何を惜しんだのか。
金も時間も、そのためのものではないのか。
いくらかかってもよかったのに。

いくら泣いてももう遅い。

この先、生きて何があるのか。

しかし、時代は進む。
私も歩かねばならない。
少しでも、ドラッカーに近づくためにも、絶望を抱いて進むのだ。

灯を絶やさせはしない。

極上の温泉をめぐる


日曜に、漢の中の漢、ゆうき と大分の極上の温泉をめぐった。


最初に行ったのは、 「神丘温泉」
駄菓子屋の中にある温泉。50円と250円のコースがあるが、特筆すべきは250円のコースである。2種類の、それもそれぞれが超一流の湯を堪能することができるからだ。

ひとつは、かなり熱いが 肌が極上のつるつるすべすべになる湯
もうひとつは、マイルドな泥湯。

泥湯といえば、匂いと熱すぎる温度が問題にされることが多い。しかしここの泥湯は、無臭に近く、これに拒否反応を起こす人はいないだろう、そして温度もどちらかというとぬるめであり、非常に完成度の高い泥湯である。

湯を浴び、泥湯にはいる。 美肌効果においてここに勝る湯を私は知らない。



次は  「豊山荘」

つるつるの湯 として有名な湯である。前述の神丘温泉のつるつる湯が熱すぎるという方は、ここのつるつる湯をお勧めする。高級感のある温泉でもあり、家族湯なども充実している。カップルならばこちらだろう。 美肌効果、そして湯上がりのつるつる肌に驚くことができるだろう。



「塚原温泉」

塚原高原に位置する、強烈な個性の湯である。
緑色の湯が迎えてくれる。酸性が非常に強く、鉄分も豊富に含む。
せっかく行くのなら、やはり飲んでみてほしい。この湯が多様な物質を含む、唯一無比の実力を持っていることを体感できる。 酸が強いので、しばらく入ると皮膚がヒリヒリする。

主張の強い、王者の風格漂う温泉である。

このような湯があるのか、 と開眼させられること間違いない。



「ガニ湯」

別名ドイツ村とも称され、長湯温泉でも有名な、直入村にあるガニ湯。 カニ湯と呼ぶのかもしれないが、 ここはただとにかくオープンな湯である。 

町の中を流れる川があり、 その川の中にカニの形をした温泉がある。ちなみに仕切りとかはなにもなく、道行く通行人から堂々丸見えの湯である。

その分開放感は群を抜く。 そんじょそこらの露天風呂の比ではない。
一度味わってしまうと、この開放感のここちよさ の虜になる。と同時に従来の露天風呂になにか物足りなさを感じるようになる。

湯自体はおそらく土類泉系であり、にごっているので一旦身を浸してしまえば特に恥ずかしいこともない。

女性が入るには厳しいかもしれない。水着を着れば入れるが、しかし温泉に水着で入るというのは、温泉に対して失礼にあたる感じがする。違和感がぬぐいきれない。

私たちはもちろん、川辺で堂々と脱ぎ、堂々と入る。
温泉のためであれば、多少の制約は振り切る覚悟で入ってほしい。



「下湯」

今までの温泉の中で、 一番感動したのがここ、 下湯 である。

炭酸泉である。 一般的な炭酸泉とは格が違う。 まさに 湯そのものが CCレモン。

入ると体中泡だらけ、 まさにCCレモンの中に浸っている感覚。

湯の温度は30度ぐらいだろうか、ぬるいので汗ひとつかかずに、何時間でも入っていられる。

地球というものの未知の領域に踏み込む。
こんなものが湧いてくるとは、体験してみるまではわからない。

入る前と、入った後で、 まるで温泉に対する価値観が変わってしまう。

入ればわかる、  としか私には言いようがない。


しかし、ここは地域のかたがたに愛されつづけてきた湯である。
私たちは、邪魔者にすぎない、あまり大挙して押し寄せては迷惑である。

土足で踏み込むような無礼者は、湯を愛するものとして許しがたい。

もし行くのであれば、温泉マナーを身につけてから行っていただきたい。

温泉は、公共物であり、自分のことを客と思ってはならない。

湯の前ではあくまでも謙虚に、礼儀正しくするべきものだ。



改めて大分の 豊かさ を思う。
食然り、温泉然り、自然然り、気候然り、
豊の国なのだなぁ、とひしひし感じる大学4年目の秋。

鬼石の湯から星を望む

鬼石地獄に併設されている「鬼石の湯」という温泉が気に入っている。

館への行路は、月と映える。雰囲気を盛り上げる。

施設は新しいが、「湯」がわかっているのだろう。
無駄なジャグジーなどは省いている (ジャグジーは構造上、湯を循環させねばならず温泉とは本来全く相容れない)

湯の質は 塩系 である。 源泉が98℃なので加水はされているがなかなかに濃い。
湯の質のクォリティは高い。

そしてその湯を生かすのが、檜でつくられた浴槽、設備である。

600円という別府にしては高値段設定と、鍵による同時入浴可能人数管理により内部の環境は、品よく保たれている。  

湯がわかっているのだろう。

そして寝転びくつろぐ場所を設置していないのも好感がもてる。
ごろごろと豚共が転がっている様の見苦しさがここにはない。

しかしカウンターでラムネや地産アイスを味わうことができる。
なかなかに上質な楽しみ方である。

ここでは、私は芯から緩むことができる。
心身ともに緩む

体を湯にまかせ、 頭の中は真空になる

自分をリセットする。

走り出す前には、体を柔らかくして待つように
新たなステップを踏み出すために、雑念を一度消し去る。


別府に来て3年半、温泉という恵みにはただ感謝しかない。

今宵は満月だった。雲もなく、月が海を照らしていた。

湯の中からは月は見えず、私は夜空の星に手を伸ばした。

生と死、わたしを分け隔てるもの。

生や死といったものを考えれば考えるほど、幸せにはなれないだろう、と最近なんとなく感じる。そもそも哲学で幸せになる道理はない。

たしか芥川だったろうか、こう言ったというのは。


「どんなに考えてみても生きることの意味がわからないのです」




いま生きている私とはいったい何なのか、私とはいったい人間なのか。

ただ、プログラムされたコード、WindowsのOSに過ぎないのではないか。
人間という種を存続させるために、肉を動かすために人為的に作られたコード、それが私ではないのか。人間という種族を維持させるための使い捨ての奴隷。

私が無ければ、人間という種族が機能しないというわけではない。私でなければいけないという必然性はなく、”とりあえず”のコードのひとつが私である。

人間という種族を生きながらえさせるための歯車のひとつであればそれでよいわけだ。
あぁ、私は絶望的なまでに人間から離れられないのだ。

なぜ私がチンパンジーであってはいけないのか、フクロウは、私が、鉄でも水素原子でも、クォークでも、木でも車でもいいではないか、

なぜ人間として、食べて、寝て、生きねばならない。実際の生活ではこのような問いは押し殺して生きていく。


決められないものを、無理に決める必要はない。

不条理なるかな、それが人生だろう。




それにしても、2日続けて鶴見のJoyfulで夜を明かしている。2日とも同じ席に座り、開き直って教科書をひろげている。おそらく今夜もJoyfulで夜を明かすだろう。3日連続になりそうだ。。

鶴見の場合、ほとんど客もおらず静かであり、気にいっている。

5時間や8時間もいると、自分が空気にでもなったような、存在感の消失にとらわれる。なぜかじょじょに人恋しさがつのってくる。誰でもいい、何の話題でもいい、話し相手が、語り合いたい。

私がいまここに存在しているという実感がほしい。一人ぼっちの孤独さを、スキマを埋めてほしい。自然界は真空状態を嫌う、それと同じく私も空白のプレッシャーに耐えられない



「このまま今日、もしかしたら私は誰とも話さずに終わるかも」


という予感はすなわち


「今日誰からも相手にされない、知覚されない、世界の端っこでひとりぼっち」


という恐怖感につながる。
この予感と、私を訪れつつある恐怖により、生きている意味を失いそうになる。ただ灰色の未来しか想い浮かばない

過ぎたことはかまわないのだ。
一日の終わりに、「そういえば私、今日一歩も外に出ていない、ケータイもメールも会話も誰一人としてコミュニケーションしていないなぁ。。」と気づいたとしても、それはもう私に絶望をもたらしはしない。

もう過ぎた過去であり、それはもう来ないのだから、


ただ灰色の未来を恐れるのみである。


私の今までの人生はある程度、Colorfulなものだったかもしれない、
しかし、いつ、灰色の人生に陥ってしまうかもしれない。
スヴィドロガイノフの絶望が私を追い詰める。



ドアも窓も、家具もまったく何もない、
出口のない密閉された真っ白な四角い部屋。
ただ部屋の片隅に蜘蛛の巣が張っている。
そこにただ私一人のみ在る。
それが、「永遠」だとしたら。



それが、その「永遠」が私の人生の、いや、意識の最終到達点であるとしたら。。。

私は「生まれてきたこと」を後悔するのだろうか、
「存在していること」を後悔するのであろうか、おそらく。

一刻も早く、この「永遠」から脱け出したい、
意識も記憶も何もかも全て消え去ってしまいたい。
自我を、わたしを他のなにかと区別している何かを、
その境界が完全に無くなり、私が私でなくなるとき。
私も他も何もかも消え去るとき、


私を、、還してくれないか。。。

| ホーム |


 BLOG TOP  » NEXT PAGE


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。