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膝小僧360

Author:膝小僧360
座右の銘は「永遠の18歳」

105歳まで生涯現役でいます。。仕事においても遊びにおいても、あらゆる分野において若い者を若さで圧倒する、そんなアダルトチルドレンな105歳を目指しています。ただしこのまま計画通りいくと人生あと83年しかないのが悩み。

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積極的な臨死体験

東京での就職活動を終えて帰別府した、ビール腹の朋友がこう言っていた。


「すごい人たちっていうのは、死にかけた経験を持っている」 と。


死 という圧倒的存在が目前に迫ったときに、自分の人生いったい何がしたいのか、悟ることがあるのだという。

一回死んだ身なので潔く自分を賭けることができる、とも。


本当かどうかは知らない。しかし非常に重要な示唆を含んでいるのは事実



「死」から逃げていない



私も一度高校時代に入院した時に、失明を覚悟した、もう野球はできない、とも思った。

少なくとも人生において大きな修正を迫られたことは認識していた。

しかしそれとて本当に死を覚悟した人に比べればちっぽけな覚悟である。


極論でいえば、 「一回死にかけてみればやりたい事がみつかる」 ということだ。

だから自分を、瀕死 の状況まで追い込めばいいのだ。

ただ私を含め、人間は自分で死にかけられるほど強くは無い。

ならばみんなでやればよい、互いを監視しあう。

しかし恐ろしいジレンマがある。

本当に死んでしまった場合どうするのか?


あと2秒で真理に到達できるのに、仲間が彼を助けることでそれを妨げてしまったら?

逆に止めないで本当に死んでしまったら?

私は責任の大きさにビビり、それから逃げるために、助けてしまうだろう。

中途半端にやっては意味が無い。なにも悟ることはできない。本気で自分の命を賭けてやらねば何も得られない。 

本当の意味で、リスクをとる覚悟があるか。
自己責任でそれをできるか。


死を覚悟している人間の生き様は美しい
私はまだまだ「死」についての考えが甘いようだ。
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